
世直しBB侍は鉄馬を駆る、伝統と反骨精神が融合した令和の義士、辛口のBB(バイクバカ)。
17歳で原付ライダーデビュー以来、途中30年ほど中抜けしましたが、30年の時を経て50代でリターンライダーとして帰ってきました。
私にとってバイクバカと呼ばれることは最高の褒め言葉、だからこれからもバイクへのこだわりを捨てずにバイクバカ目線でバイクにまつわる様々なことを綴ってまいります。(同じくらい大好物なクルマのことにも時には触れながら)。
前回は事故の瞬間を振り返りました。
今回は救急車搬送から救急病院での各種検査を経て事故当日が終わるまでを振り返ります。
タイトルは「ハーレー全損④救急搬送されるも右肩まわりに骨折はナシの診断」です。
ハーレーは全損となる損傷を負い私は人生2度目の救急搬送
道路に寝たまま警察官からの事故の聴取を終えて程なくして救急車が到着し、少々大げさかなと思いつつ、私はストレッチャーに乗せられて救急車の中へ運び込まれました。
人生2度目の救急搬送体験でした。
息子ももちろん同乗して。(とても迷惑だったと思いますが)
気がかりだったのは現場に残された相棒のハーレーです。

私と息子を守ってのちに全損認定されるほどの損傷を負ったのに、「ひとり」現場に残していくのは忍びなかった。
すぐに救急車の中から保険会社に事故報告の連絡をし、現場に放置された相棒の搬送依頼をかけました。
結果、レッカー車両は1時間半後位に現場到着したようで、事故の相手がレッカー車に運び込まれるまで相棒を見届けてくれたようでホッと一安心でした。
ですが、キーフォブは私が持ったままだったためセキュリティシステムが発動し、ハザード点灯解除が出来なかったようです。

救急車の車中では搬送隊員さんによる問診と、指先には医療ドラマで良く見るパルスオキシメーターをつけられて動脈血酸素飽和度と脈拍数を測定されましたが、車内で様態が急変する人もいるのでしょう、しきりに頭は打っていませんか?と聞かれました。

頭に強い衝撃は受けなかったけど、飛ばされて落ちたあと、勢いあまって少し道路をこすっていったのでメットももう使い物にはならないと思いました。

移動すること数十分、救急病院へ着くと数人がかりで、せーの、の掛け声で病院のベットに乗せ換えられました。
それから約1時間位でしょうか、いろんな検査をしてくれました。
病院内には他の患者さんもたくさんいましたが、救急搬送されると最優先されて、多くの看護師さんが私につきっきりになっていました。
そういう状況を見るとあらためて、救急車はタクシー代わりに呼んではいけないなと思うのでした。
私の右肩まわりのレントゲン結果は骨折ナシと診断される
私が飛ばされて一番先に道路に打ちつけた部位は右肩まわりだったので、当然その周辺のレントゲンを撮ってもらったわけなのですが、診断結果は骨折はナシの打撲のようですというものでした。
なお、後ろに乗っていた息子も検査をしてもらいましたが、異常はなかったようで何よりでした。
この間に掛った検査費用は2人で8万円近くになったようでしたが、相手の保険会社がすでに動いてくれていたので、窓口で署名をするだけで支払いをすることなく解放されました。
あとはタクシーで最寄り駅まで移動して、そこから電車に乗り換えて帰るのみでしたが、新たな心配事が頭をもたげていました。
右足の甲の辺りがたまらなく痛くなってきたのです。

この日足にはライダーブーツを履いており、事故の瞬間も足に当てられたり、飛んで落ちてから捻ったりも無かったので不可解な痛みでした。
足が痛い事を息子に話したら、ブーツを履いたまま帰るのは大変だろうからと、自分の履いていたスニーカーと交換してくれたのです。
親はなくても子は育つという言葉を実感した瞬間でした。
病院には今さら足も痛いなんて言ったらまた検査で何時に帰れるかわからなかったので、言わずに我慢して足を引きずりながら病院を後にしました。
皮肉にも予想も出来なかった言葉で息子を諭した私
病院から駅まではとても歩ける距離ではなかったのでタクシーを呼んでもらい息子と同乗したのですが、そのタクシーがこれまた黒塗りのプリウスで、、もっともミサイルは搭載していませんでしたが、つくづくプリウスに因縁がある日となりました。
タクシーの車中で私は、「これからバイクデビューをするんだろうけど、どんなに注意してたって今日みたいに事故が起きることはあり、そしてひとたび事故が起きればむき出しの乗り物であるバイクはライダーが怪我をする確率は高くなることは理解して乗った方がいいよ。」と、当初は全く予想できなかった言葉で息子に諭したのでした。
今日一日安全に留意して走る父の背中を見せると意気込んでいた私は、バイクは危険な乗り物であることを身をもって証明してしまった、、

皮肉なものですね。
不幸中の幸いだったのは息子が大事に至らなかったことだけです。
電車の車中では息子にお詫びと感謝の気持ちを伝え、今晩や明日以降、もし体に痛い所が出てきたら必ず病院に掛ることをお願いして途中の駅で別れることに。
バイクデビューする前にこんな最悪の体験をしたら乘るのが嫌になってしまうだろうと思ったら、息子にはまた申し訳気持ちでいっぱいになりました。
その後私はひとり途中電車を乗り換えたのですが、右足は痛くなる一方で、ヘルメットをはじめ手荷物も抱えていたので歩くたびに痛みで顔を歪めながらの帰宅となりました。
帰宅してもまだ一日は終わりません。
明日以降の仕事に多大なる影響が出ることは容易に想像出来たので、会社の上司に今日あった一部始終を報告して指示を仰いだのでした。
上司は私の同僚と調整を図ったのちに折り返しの電話を下さり、もともと月末までにあと2日休める他に、3日間をの休暇許可を下さって、結果月末いっぱい休めることになり、上司と休みを代ってくれた同僚にはいたく感謝しました。
これでもまだ一日は終わらず、次は息子の母親へのお詫びの電話をすることが残っていました。
ほとんどもらい事故だったとはいえ、息子を後ろに乗せて運転していたのは私です。
幸い怪我は無かったものの、ひとつ間違えれば大変なことになっていたのでお詫びの電話を元妻に入れようと思っていました。
ところが、お詫びの電話の件を頭出ししておいた息子からLINEが入り、
「母は、危険とわかっててバイクの後ろに乗ったお前がすべて悪いと言ってる、話が通じる相手じゃないから電話はしなくていいよ。」とメッセージを送ってきたのです。
息子も大人になったものだと感心した一方で、元妻は本当は私に怒りをぶつけたいところ、それができなくて息子に当たり散らしたのかと思ったら、これまた息子には申し訳ない思いばかりで。。
こうして嵐のような一日は終わったのですが、翌日事態は急変したのです。(つづく)