
世直しBB侍は鉄馬を駆る、伝統と反骨精神が融合した令和の義士、辛口のBB(バイクバカ)。
17歳で原付ライダーデビュー以来、途中30年ほど中抜けしましたが、30年の時を経て50代でリターンライダーとして帰ってきました。
私にとってバイクバカと呼ばれることは最高の褒め言葉、だからこれからもバイクへのこだわりを捨てずにバイクバカ目線でバイクにまつわる様々なことを綴ってまいります。(同じくらい大好物なクルマのことにも時には触れながら)。
今回のタイトルは、「ハーレー全損②事故2時間前に息子も思い出を共有していた事を知り感激する」です。
筑波山で作った思い出を今でも大切にしていたのは、私だけだとばかり思っていたのですが、実は息子も大事に共有してくれていた事を知ったのです!
細かい出来事まで記憶してくれていて、私はいたく感激してしまいました。
ですが、時に運命とは残酷なもので、このあと幸せの絶頂から奈落の底へ転がり落ちていくような悲劇が刻一刻と迫っていたのです。
今日は父の背中を見せてやると意気込みハーレーでお迎えに
前日の寝つきは良かったものの、早朝から目が覚めていました。
息子と会う頻度は3ヵ月に一度くらい飯を食べに行く程度で、LINEは繋がっているものの普段のやりとりは皆無に等しいです。
彼に決して関心がないわけではないのですが、たまにメッセージを送っても「わかった」「大丈夫」など、短い単語でしか返ってこないから、、
でもまあ既読スルーされずに返信はくれるのだから、元気にしているハズ、まっいいかと納得してしまう私がいます。
当初ヘルメットとグローブは私が息子の分も持参予定でしたが、彼には中型免許を取る予定があるらしく!既に持っていました。
思えば私の親父もバイク乗りだったし(60年以上前の話ですが、違反を見つかり警察車両に追われても巻いてしまうほどの走り屋だったらしい)、血筋なのかなと思いました。

「ならば今日はお前をケツに乗せて、常に安全に留意しながら運転する父の背中を見せてやるんだ。」と意気込んでハーレーでお迎えに行ったのでした。
まあ、内心は大事な息子を乗せるんでドキドキだったんですけど。
情けないくらい息子と会話が出来ないバカな父親
お迎え後、タンデム乗車中の注意点を説明して出発。
走り出して感じましたが、彼はタンデム体験もあったらしく、走行中に変な挙動をすることなく荷物のように座っており運転しやすかったです。
一般道から常磐道に入ったら結構風が強くって、ヘビーウエイトのハーレーでも横へあおられるほどでしたが、慎重にハンドルを握り続け最初のサービスエリアで小休止をとることにしました。
降車したら息子に積極的に話かけないとと焦りましたが、情けないくらい自分の息子なのに会話が出来ないバカな父親の姿が露呈します。
下の弟は離婚してからも度々家に泊まりに来てくれたんですが、息子は一度も来たことがありませんでした。
弟が生まれてからというもの、息子には一見すると弟をいじめてるように見える態度が度々あったので、私は都度厳しく叱っていました。
それが愛のある叱り方ならよかったのでしょうが、感情的にただ怒っていただけの時も多かったように思います。
だからその頃から息子には好かれていないのは自覚していました。
弟をいじめるような態度は父からの愛情を欲していたからかもしれないのに、、
あの時息子はどんな気持ちで弟にちょっかいを出したのかを離婚してから考えた時、申し訳ない事をしたと思って何度泣いたことか、、でも時すでに遅しなのですね、、
親孝行したい時に親はいないってよく言いますが、子供も同じ。
私のようなバカな父が気がついた時には子供は大きくなっていて親の手を離れてしまっているのです。
何を話せばよいのかわからない、だから、せめて今日は興味があるバイクに乗せてあげることが一つの罪滅ぼしでもあったのに、、
事故が起きる瞬間は刻々と近づいていました。
全損事故2時間前に息子も思い出を共有していた事を知り感激する
常磐道のSAで小休止した後は一般道に降りて、一気に思い出が残る目的地の筑波山つつじヶ丘駐車場まで走りました。
駐車場に着きハーレーを停めてまずはレストハウスで昼食をとることに。


そこで息子から予想外の言葉を聞かされました、昔一緒に来たことを尋ねた時のことです。
「ここはお前がまだ5歳だった頃に2人で来て、一緒に筑波山の頂上まで歩いて登ったんだぞ、覚えてないだろ?」
「覚えてるよ!」

「ではその1年後に家族で初日の出を見にも来ているんだが、それは?」
「覚えてるよ!あの時は下山の際、俺らが先に降りて行っちゃったもんだから、下り道を怖がってなかなか歩けない弟を残されたお母さんはめっちゃキレてたよね。」
そうです、あの日私は元妻と下の子よりも先に息子と2人だけでとっとと降りていったものだから元妻は激おこになってしまい、帰りの車中では運転席に座る私の背中をシートバック越しに何度も蹴ってきたのでした(笑)
筑波山に格別の思いを残していたのは私だけではなく、息子も思い出として共有していた事を知り感激してしまいました。
元妻にシートを蹴られた事まで覚えていた息子の記憶力にはアッパレでした。
麓のレストハウスで軽食をとり終わると息子は、あの日のようにまた登山しようと言ってきました。

その誘いが嬉しかったので登山道を歩き始めた時でした。
「無理だわ、、ゴメン。勾配が急すぎてまだ少ししか歩いていないのにもう息が上がってしまっている。無理して上がっていったらお前に迷惑かけてしまうから引き返したい。」
そう、登山道の入り口周辺は勾配がキツイんですよ、普段から登ってる人なら行けるんだろうけど万年運動不足の私にはとても無理だったのです。
ならばせめてロープウエイで頂上まで上がろうと提案し上がって行きました。
穏やかな小春日和の陽気でしたが、この30分後にまさかハーレーが全損になってしまうほどの事故に遭遇しようとは夢にも思っていなかったのでした。(つづく)