
世直しBB侍は鉄馬を駆る、伝統と反骨精神が融合した令和の義士、辛口のBB(バイクバカ)。
17歳で原付ライダーデビュー以来、途中30年ほど中抜けしましたが、30年の時を経て50代でリターンライダーとして帰ってきました。
私にとってバイクバカと呼ばれることは最高の褒め言葉、だからこれからもバイクへのこだわりを捨てずにバイクバカ目線でバイクにまつわる様々なことを綴ってまいります。(同じくらい大好物なクルマのことにも時には触れながら)。
今回はこの話の肝になる事故の瞬間を振り返ります。
タイトルは「ハーレー全損③車との右直事故で自身は重傷を負うも息子だけは守れた誇り」にしましたが、より実際のシーンにふさわしいタイトルに替えた場合、「プリウスミサイルにロックオンされて撃墜されるも息子だけは守れた誇り」になりますでしょうか。
思い出すたび腹立たしい気持ちになりますが詳細を振り返ってまいります。
- 全損前の相棒ハーレーの最後の雄姿を息子がカメラに収めていた
- プリウスミサイルにロックオンされた右直事故で撃墜される
- 自身は重傷を負うも息子だけは守れたことを誇りに思う
- 身を挺して守ってくれた相棒ハーレー
- バイクデビューを控えていた息子にも申し訳ない気持ちでいっぱい
全損前の相棒ハーレーの最後の雄姿を息子がカメラに収めていた
筑波山山頂からロープウエイで下山したのちはまっすぐ帰る予定でいましたが、帰り道途中にある釣り堀に寄って欲しいと息子が言うので承諾をし、帰り道も安全運転を誓って走り始めました。
私は気づいていなかったのですが、息子は全損になる前の走行中に2枚の写真をカメラに収めていたようです。


この写真が相棒=ハーレーの最後の雄姿になりました。
プリウスミサイルにロックオンされた右直事故で撃墜される
筑波山のつつじヶ丘駐車場から出た後は、笠間つくば線という来た道を戻って下山していきました。
途中、筑波山神社鳥居がすぐそばにある交差点に差し掛かった時のことです。
信号のある交差点内の反対車線で、下から登ってきた1台の車が妙な動きをしていることに気が付きました。
完全に停止することなくジワジワと動いている様子。
それを見て、まさか曲がっては来ないだろうとは思いつつも、道路の左寄りを走った方が良いと考えて僅かにハンドルを左へ切り1メートルほど左へ車体を移動したのです。
間もなく何事もなくすれ違うハズ、、でした。。

ところが、黒い車(プリウスミサイル)は私たちの命を狙いにきたかのように、いきなり右折してきたのです。(車とバイクの事故で多い右直事故)
「あっ!あぶない!!」
後席で叫ぶ息子の声を聞いた時、プリウスミサイルは完全に私たちをロックオンしており、ハーレーの右前輪からエアクリーナーケース辺りにかけて相手車のフロントバンパーがめり込んでいくのが見えました。
と同時に私は心の中で「思い出作りのツーリング途中だったのになんてことしてくれるんだぁ!!」と心の中で叫んでいました。
コンマ数秒後、それ以上私は相棒に跨り続けることを許されず、ゴムまりのように右斜め前方へ飛ばされました。
「ガン、ザザー」
あとで相手車に搭載されたドライブレコーダー画像を警察署で見せてもらったのですが、画面の視界から私の体は一部消える位置まで飛ばされ、かなり高い位置から空中で1回転して背中を含めた右肩から着地し、飛ばされた勢いで路面にあちこち擦ってからようやく体が止まりました。





自身は重傷を負うも息子だけは守れたことを誇りに思う
肩回りに激痛が走りましたが、瞬時に次の事が脳裏を横切ります。
「相棒の前席に乗っていた私がこんなに飛ばされたんだから、後席にいた息子だってタダでは済まなかったハズだ、息子を探さなきゃ。」
反射的に起き上がり、私は渾身の力で息子の名前を連呼しました。
ですが横倒しになった相棒の周辺に息子の姿はありませんでした。
「どこまで飛ばされたのだろうか、息子にもしものことがあったら生きてはいけない。」
そう考えたら卒倒しそうでした。
その時です、私の右後ろから
「俺は大丈夫!」
という息子の声がしたのは。
振り返ると息子はちゃんと2本の足で立っていました。
聞くと事故の瞬間にハーレーは息子の股の間からすぽっと抜けて、彼は飛ばされることもなく着地出来たと言っていました。
プリウスミサイルに衝突される直前にハンドルを左に切って進んだことにより衝突時の入射角が変動して息子だけは大事に至らなかったのかもしれません。
息子が命を落とすことはなくても体に後遺症が残るような怪我を負っていたら、私はこの日息子を後ろに乗せたことを一生悔やんだことでしょう。
私自身は重傷を負ってしまいましたが、息子が無傷であったことは不幸中の幸いでした。
息子だけは守れたことを誇りに思います。
身を挺して守ってくれた相棒ハーレー
息子の無事を確認した私はその場にヘナヘナと座り込んでしまいそうでしたが、息も絶え絶えに倒れている相棒が不憫でならず、起き上がらせて路肩に寄せようと脳は思うものの、体には程なく激痛が襲ってきて立っているのがやっとでした。

そこへ私よりうんと若そうなプリウスミサイルの女性パイロットが来て言いました。
「どうぞ横になられてください。」
言われるがまま、私は道路上に大の字になりました。
程なくして、道路の真ん中に放置されたプリウスミサイルと相棒のハーレーが視線に入ったのでしょう、ツーリング帰りと思われるライダーたちが止まってくれて、オロオロするばかりで警察への通報もままならない相手の代わりに110番通報をしてくれたのです。
さらには救急車の手配もして下さり、仕上げは横倒しになった相棒を起こして路肩へ寄せてくれたのでした。
起き上がることが出来ずに満足なお礼も言えませんでしたが、「こんな時はお互い様だから。」と言って去って行った彼らには感謝しかありませんでした。
相棒を押して路肩に寄せてくれたライダーが「ああ前輪がかなり曲がっていますね、、」と言った言葉を聞いた私は、「ミニツーリングはこれで終わったのだ、帰りは電車なのだ。」と冷静に思っていました。
翌日には重症と診断されるほどの衝撃を受けていながら、この時はまだ、少し休めば乗って帰れるかもしれないと考えていたのでした。
そのくらい相棒はパッと見キレイな状態だったのです。
相棒は全長が長く、重量も乾燥重量で約300kgもあり、決して扱いやすいバイクではありませんでしたが、この全長の長さやヘビーな車体重量が私たちの命を救ってくれたのだと思えてなりません。
もっと軽量のバイクだったらファーストコンタクトでもっと被害は拡大していたかもしれないし、衝突後のプリウスミサイルの勢いを止められず、息子もタダでは済まなかったと思います。
ヘビーウエイトの相棒だったからこそ、衝突後にこれ以上前にはいかせまいと、身を挺して相棒は私たちを守ってくれたに違いありません。
そう考えると、身代わりとなって逝ってしまった相棒が不憫でならないのです。
バイクデビューを控えていた息子にも申し訳ない気持ちでいっぱい
通報を受けたつくば署の警察官が到着してからも、私は終始横になったまま事故見分での質問に受け答えしていました。
そしてこんな悲しい体験をさせてしまった息子には何度も謝り、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
これから免許を取ってバイクデビューを控えていた息子にこんな姿を見せることになろうとは、、
出発前に今日は一日安全に留意して走行する父の姿を見せてやると意気込んでいた気持ちは完全に消沈していました。
あの屈辱は怪我が癒えた今も消えずに残っています。(つづく)