こんにちは、千葉県北西部住みのチーバBB(バイクバカ)です。
ハーレーディーラーの店長さんで、「ハーレーで人生を変えろ!」が口癖の方がいますが、ハーレーダビッドソンを手にして以来、人生が変わり始めてきたことを実感する日々です。
いい歳してと言われるお年頃ですが、いい歳だからやらねばならないこともあるわけで、周りに何を言われようがこの道を極めたい。
筆者にとってバイクバカという言葉は最高の褒め言葉、バカも極めれば苦労を知らない天才を凌駕出来ると思っているので、これからもバイクバカを貫きます!!
今回は、最近またバイクブームが再来していると言われるものの、空前のバイクブームが起きていた1982年と比較すると、二輪の国内販売台数は当時の約12%でしかないことを知って、1982年の自動二輪販売台数ベスト10を、チーバBB秘蔵のカタログコレクションとともに、時代の生き証人チーバBBが振り返ってみることにしました。
タイトルは、『空前のバイクブームだった1982年を生き証人チーバBBがプレイバック』です。
チーバBBはハーレーだけじゃありません、国内の優秀メーカー4社であるホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキは軽二輪以上ですべて乗っている時代もありました。(1981年~1991年)
昨今のバイクブームは本物か?
昨今バイクブームが到来してると言われてますが、ホントのところはどうなんでしょうか。
調べてみましたら、日本国内の二輪車史上で最高の二輪国内販売台数を記録した年は1982年で、その数はなんと3,285,327台!!でした。
この数字がどのくらい凄いかというと、バイクブームが来てると言われる昨今、データは2022年度になりますが、その年の販売台数は僅か約40万台でしたので、約329万台がいかに凄まじい数だったかお分かりいただけたことと思います。。
計算すると、昨今バイクブーム到来と言われるものの、空前絶後の国内販売台数を達成した1982年に比べると12%でしかないんです。
だから昨今のバイクブームが本物か?と問われると微妙な気はします。
趣味が多様化してきていることを考えますと善戦してるかなとは思いますが。
空前絶後を記録した1982年にチーバBBは中型バイクデビュー
1982年というと、チーバBBは若干18歳で社会人の仲間入りをし、中型バイクデビューをした年になります。
前年の1981年に原付の免許を取得し、その年の暮れには中型バイクに乗るべく教習所通いを始め、1982年2月には自動二輪の中型限定免許証を取得、初めて買った中型バイクは中古のホンダCB250RSでした。
当時はまだセルスターターが普及する前だったので、このバイクも例外にもれずキックスターターのバイクでした。
CBの当時のカタログには1977年の世界GP350㏄クラスでチャンピオンとなった片山敬済氏が採用されたことも話題になりました。
秘蔵カタログと共に生き証人が国内販売台数ベストテンをプレイバック
1982年という年は、空前絶後のバイク国内販売台数記録を打ち立てたと先述しましたが、どんなバイクが売れていたのか、2回にわたり時代の生き証人であるチーバBBが秘蔵のカタログコレクションと共に解説付きでプレイバックしていきます。
2回の前半になる今回は、自動二輪の国内販売台数ベストテンをみていきましょう。
第10位 ヤマハRZ350 年間販売台数 4,345台
第10位は、ナナハンキラーの異名があったヤマハRZ350。
市場デビューは前年の1981年で、前年の販売台数の4位から降格となったが、143kgの軽量な車体に積まれた2サイクルエンジンは45馬力を発生し、2名乗車で安易なクラッチミートをしようものなら、ポンポンと前輪が浮くと言われたほどのパワーを誇った。
RZ250と比較すると、エンジンのピーキーさは消え、全域でトルクが太くなった感があり、峠道では軽量で、かつ、ハイパワーを武器に、ナナハンを追いかけまわし、ナナハンキラーという異名をもっていた。
第9位 ヤマハXZ400 年間販売台数 4,391台
第9位はヤマハが400㏄としては初めて駆動にシャフトドライブを装備し、ツアラー的な味付けがされたXZ400。
水冷70°VツインDOHC4バルブ+シャフト駆動で和製ドカティとも言われたハイメカニズムだったが、如何せん重量級で走りは大人しく、広く支持を得るには到らなかった。
このクラスでは水冷DOHCVツインというメカニズムよりもマルチエンジンであるという方が重要だったのである。(マルチとは4気筒を指していた。)
第8位 ホンダVF750C 年間販売台数 4,404台
第8位にはカタログにもあるように、近未来のスポーツツアラーとして登場したVF750C、通称セイバー。
このVF750C セイバーも9位のXZ400同様、まとまりすぎて人気がイマイチのバイクだった。
第7位 スズキGSX400FS 年間販売台数 4,798台
第7位はスズキGSX400FS、通称インパルス。
ホンダCBXの独壇場になってしまった1982年にスズキが投入したこのバイクは、走り屋の度肝を抜いたものだ。
ホンダの通称ヨンフォアでも集合管を装着してメーカーが標準で販売してくれたが、あれは申し訳ないけど、色は銀のままだし形もイマイチだった。
そこへいくとこのインパルスはヨシムラのノウハウが詰まってるからね、カタログには一言もヨシムラの文字はないけど。
そのサウンドは低速域こそ穏やかだが、1万回転から始まるレッドゾーン付近まで引っ張った際のサウンドは、まさに集合管そのものだった。
カタログの表紙は国内GP500のチャンピオンの水谷さんだったからね、スズキの本気度がうかがえた1台でした。
第6位 ホンダCB750F 年間販売台数 6,598台
第6位はホンダCB750F。
高校だった朝の通学路で、決まって後ろから追い抜いていったのが、上のカラーそのまんまのCBだった。
通勤バイクだったのだと思うが、その時の憧れを胸に3年後、バイク仲間のTは誰よりも早く限定解除に成功し、このバイクを手にして夢を叶えた。
借りて少し走らせたことがあるが、まさにキングの風格十分だった。
ちなみにチーバBBが限定解除した時の試験車両もこのCBだったが、整備不良だったのかタイヤが著しく肩減りし、スラローム走行では泣かされたものだった。
第5位 スズキGSX400F 年間販売台数 6,772台
第5位はスズキGSX400F。
インパルスの衝撃が強すぎて霞みそうだが、いやいやどうしてインパルスが輝きを放ったのはベースになったこのGSX400Fが秀逸だったから。
このバイクの登場まではスズキはGS400、GSX400EのDOHC2気筒路線で十分と考えていたフシがあったが、やはり2気筒しかなかったホンダが後述するCBXを出したため、4気筒が無いのはスズキだけとなり、満を持して投入された。
第4位 スズキGSX750S 年間販売台数 7,531台
第4位は、そのハンドルが耕運機のようだとバカにされたGSX750S。
あくまで本家は逆輸入車のGSX1100刀だったため、ずっと本家の呪縛に囚われていた悲運の1台と言える。
しかし、そのハンドルはともかくとして斬新なスタイリングは、これまでのバイクのシルエットを根底から覆したといっていい、ハンス・ムートの傑作でした。
第3位 ヤマハXJ400 年間販売台数 12,001台
第3位からは年間販売台数が1万台を超えてきて、第3位は、カワサキZ400FXの独壇場だった400㏄市場のトップの座を引きずり降ろすべく投入された400マルチのヤマハXJ400。
Z400FⅩの43馬力に対抗して2馬力アップの45馬力で前年に登場し見事自動二輪の首位を奪還したが、1982年は1位のバイクがバカ売れすぎて霞んでしまった名機。
ちなみにチーバBBはCB250RSのあと400㏄に昇格し、このXJ400の4本マフラー版、XJ400Dを初の新車で購入している(1982年11月~1984年4月まで)。
ツーリング等で毎週のように繰り出し、月当たりの距離が一番多く走っていたバイクになる。
第2位 カワサキZ400GP 年間販売台数 12,112台
第2位は、カワサキZ400GP。
Z400FⅩもまだ併売されていたが、より走りを追求した装備を引っ提げて登場したのがZ400GP。
FXとの最大の差はリアサスペンションが2本サスではなく、ユニトラックサスといってシート下に1本化されたこと。
後発ではレースのカワサキをイメージするライムグリーンのZ400GPも投入されて人気を博した。
第1位 ホンダCBX400F 年間販売台数 31,553台
第1位は、空前の400マルチブームを巻き起こしたCBX400F。
ホンダはそれまでヨンフォアを最後に新型マルチの投入がなく、Z400FⅩさらにはXJ400に大きく遅れをとってきたが、1982年数々の新装備を引っ提げて登場するやいなヤ空前の大ヒットとなってトップを奪還した。
ジャニーズタレントで当時人気絶頂だったマッチこと近藤真彦主演の映画『ハイティーン・ブギ』の劇中では主人公が乗っていたこともあってか、1982年の街にはCBXが溢れかえってました。
まさに後世に語り継がれるホンダの名機ですが、現代では500万円というプレミア価格をつける個体もあり、当時街中にCBXが溢れていた様を知っているチーバBBとしては不思議な気分です。
まとめ
いまバイクブームが再燃とか言われていますが、1982年はそのブームの炎の大きさが今の比ではないほどの販売台数を記録していたので、当時を知るチーバBBとしては寂しい限りです。
年間320万台という大ヒットはもう2度と訪れないと思いますが、ブームがブームで終わらぬよう、微力ながらバイクの良さを世間に向けては発信していきたいです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。