アラ還からの副業ビジネス挑戦

本業の定年退職まで4年を切った今、立ち止まっている時間はない、前進あるのみだ。

私のkindle番外編。18の時から常に追い続けてきた先輩の背中

 

あなたにとって大切な人は?

 

よくこんな質問が、雑誌やネット上の記事に出ることがあります。

 

それは必ずしも異性であるとは限らないと思います。

 

私にもそんな存在の人がいます。異性ではありません。

かといって私がそっち系の人間かというと決してそんなことはなく、私にとって其の方は、男が男に惚れるような、そう、最近惜しまれて亡くなられた渡哲也さんのような存在なのです。大門軍団を率いた団長のような存在なのです。

 

歳は3年上の先輩になりますが、今日はそんな先輩を、最大限の尊敬の念を込めてご紹介したいと思います。

 

青春時代から常に追い続けてきた先輩の背中

 

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私の青春は昭和の時代とともにありましたが、そこには常に追い続けてきた先輩の背中がありました。高卒で入社した時からなので、もう38年以上の付き会いになります。

 

入社した昭和57年(1982年)は日本がイケイケの時代で、新入社員には辛い時代でした。とりわけ選んだ職種が整備士でしたから、中高生時代にいろんな逸話を持った先輩方が揃っており、私はしばらく怯えたバンビのように過ごした記憶があります。

 

この先輩も同じ整備士で、例外なく体育会系のノリの方でしたが、口は悪いけど面倒見の良い方で、いつも気にかけて声をかけてくださいました。

 

それは仕事だけにとどまらず、プライベートでもです。

 

其の際たることがスキーであり、先輩の影響で入社した年の年末から始めたのでした。

 

先輩はスキーの操作に長けていて、コブ斜面の頂きから頂きへ飛んでいくように滑っていく姿をいつも羨望の眼差しで見ていました。

ほどなくして先輩はスキーチームを立ち上げ、冬の長期連休中は大勢でスキー場へ行ったものです。

チーム内には先輩より年長者がいましたが、毒舌家の先輩にかかると年長者もひとたまりもありませんでした。年長者にも一目置かれる強いリーダーシップを、先輩はこの頃から発揮していたのです。

 

 

 

クルマのドライビングテクニックも一流

 

今回書きながら思い出したことがあります。先輩の彼女(現:奥様)を含めた3人で万座スキー場へ行くはずが、なにかの理由で先輩と2人で行くことになった道中での出来事です。途中、国道17号線が大渋滞していて裏道へ入った時のことです。

そうしたらそこが一面アイスバーンだったようで、瞬時にクルマが横向きになって下り坂を滑って行ったのです。

そこで先輩はブレーキと、とりわけハンドルを絶妙に左右に切って(逆ハンドルといって、クルマの態勢が崩れた時に、車体が流れた方向とは反対にハンドルを切ってクルマの態勢を整えるテクニック)ガードレールに当たらぬよう回避したのでした。

100メートルも下に向かって滑って行ったクルマはようやく止まり、どこにもぶつかることがなかったのです。

あの時は助手席でシビレましたよ、先輩覚えているかな。

 

先輩の超絶ドライビングテクニックを見た瞬間でした。

 

さらにこんな大事件の時も一緒でした

 

下記は昭和59年の2月と記憶していますが、タイヤチェーンの切れたレンタカーのマイクロバスが雪道を蛇行してしまい、危うく崖下に転落するところだったのです。

 

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詳しい内容は記事を見ていただくとして、その時に車中で「野郎ども押せ!」と号令をかけていたのは先輩でした。

 

 

バイクの限定解除が出来たのも先輩のおかげ

 

これは昭和60年秋から61年春までの話です。私がバイク免許の限定解除に成功した話を下記記事で披露しましたが、私の反骨精神に火をつけたのも先輩でした。

 

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私はあの頃カラダがとても華奢でしたので、お前にナナハンは乗れないだろうとハッキリ言われたのです。

本心を言ったのか、奮起させようとして言ったのか、その真意はわかりませんが、いつか試験に合格して見返してやりたいと、ずっと反骨心を燃やし続け、それが合格へと導いた原動力になったことは間違いありません。

 

ゴルフを始めたのも先輩の影響

 

年齢が上がっていくにつれ、スキーをする仲間がだんだんと減ってきました。

次の行き先はゴルフでした。先輩が言っていた言葉を今でもハッキリ覚えています。

 

「スキーは楽しいけど、ゴルフは面白いぞ。始めないか?」

 

この一言で始めてしまったようなものです。

 

平成5年には同じゴルフ場の会員権を買い、月に何度も栃木県まで往復したものです。ただ腕前に差があったので、月例競技では先輩のいたAクラスには入れませんでした。

 

遊びも豪快だったが、仕事も超一流

 

遊びで先輩にかなうものは何ひとつ有りませんでしたが、仕事も同じでした。

先輩は同じ整備士として、難しい社内の技術検定試験を一度もダブることなく最上級まで取得し、さらには今では廃止された特級という資格までも取得されました。

 

クルマを診断する目は的確で、かつプロのスピードで修理を完了させていました。

 

いつか私もそうなりたいと思っていましたが、今考えると資質が別格だったように思います。

 

どこに異動されても頭を張れる器

 

サラリーマンの宿命である異動により、先輩は私が4-5年生の時に店舗をあとにされました。でも優秀な先輩の異動先は他店舗ではなく、本部預かりの処遇になって、次回の整備技術コンクールの強化選手として日々訓練をすることになったのでした。

社内に何百人もいる整備士の中で、その年のコンクールに出れるのはわずか2人だけでした。それに選ばれたのです、凄い人です。

 

整備コンクールが終わった後は、また店舗に戻られましたが、そこから27年くらい私が一緒の店舗で働くことはありませんでした。

 

先輩はどこのお店に行っても〇〇店に◯◯ありと注目されて、常に頭を張る存在でした。

やがて、整備士として達成出来ることはすべて成就された先輩は、次のステージに上がります。整備士からフロント係への職種変更は定番の昇格でしたが、先輩はあまりに優秀なため2階級特進を果たし、ヒラのフロント係を経験することなく、いきなりチーフフロント係に抜擢されました。

整備士とフロント係では仕事内容がだいぶ異なるため、通常はヒラを経験するものなのですが、先輩はいきなりチーフになられても、立派に努め上げ、あっという間に工場長になられました。確か同期入社で一番の昇進だったと思います。

 

当時の世の中は、今よりだいぶ景気がいい時代でしたから、毎年何回も節目の月には、工場の実績によって報奨が与えられたのですが、先輩は異動する先々で強いリーダーシップを発揮されたため、報奨旅行を獲得する常連でした。

恐らく報奨で海外に行った回数は20-30回はあるんじゃないでしょうか。(行き先は記憶があるだけで、韓国、グアム、サイパン、ハワイ、オーストラリア等々)

 

 

 

2012年デビューのトヨタ・ハチロクを誰よりも先に購入し、オプション品でかためた

 

2012年にトヨタ・ハチロクがデビューしますが、社内の誰よりも早く購入をしたのは先輩と聞いています。そして、高価なオプションパーツの数々をハチロクに装着されたのです。

 

この時先輩は50歳を超えて、店長という重責を担っていました。

一般的に店長になると、クルマはどノーマルで、いじって乗る人は殆ど見ないです。

でも先輩はクルマ好きのココロを忘れず、オプションパーツ代にお金をかけたのです、なんて潔いお金の使い方なんだと感動したものです。

 

そのハチロクは一度だけ運転させて頂き、ゴルフ場の往復をドライブしましたが、超運転が楽しいクルマでしたよ。(当時まとめた試乗記はまた後日紹介します。)

 

再び同じ職場で働ける日がやってきたが、幸せな時は長くは続かなかった

 

入社時の店舗より先輩が異動されてから28年ぶりに、再び先輩と働ける機会がやってきました。

先輩は店長として、私はいちスタッフとしてでした。

その年から意を決して飛び込んだ営業の世界でしたが、店長の役に立てるよう毎日自転車を漕いでテリトリーを回り、そこそこの成果をあげていました。

 

ですが幸せな日は長くは続かず、先輩に異動の命が出たのです。

 

残念でなりませんでした。それだけが理由では有りませんでしたが、私のモチベーションは以後下降し始めてしまい、結果、翌年に会社を辞めることにしたのでした。

 

会社を辞めても定期的に気にかけてくれたのは先輩だけ

 

会社を辞めてしまったことで、それまで付き会いのあった方々と共通の話題が減っていきました。すると連絡しづらくなっていくものです。恐らく相手も同じ気持ちいたことでしょう。

段々と皆と疎遠になっていきました。

 

私も経験があるのですが、以前付き会いのあった辞めた先輩からある日電話が入ったことがあって、最初は懐かしく話していたのですが、最後の方でお金を貸してくれるかなと言われたのです。とても残念でした。

 

辞めてしまって月日が経過し、ひさしぶりに電話をしたりすると、こちらはそんな気が無くても相手に金の無心か?と勘ぐられるのは嫌でしたので、電話も控えるようになっていきました。

 

そんな中でも、先輩だけは気にかけて下さりゴルフに誘ってくれました。

 

私は辞めてしまったことに負い目を感じていたのですが、分け隔てなく接してくれたのは嬉しかったです。かなり救われた気がします。

 

で今回、私の本の紹介をしてくれたのも先輩なのです

 

ゴルフ仲間とは久しく連絡をとっておらず、私単独では本の宣伝は叶いませんでした。そこで先輩に話を通し、協力を頂いたのです。

 

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先輩は紹介のメッセージをゴルフの会のLINEグループへ送信する際、私も買ったと書き添えてくださいました。

本当に嬉しかったです。おかげで次に続く人が現れて、この影響はしばらく続きそうな予感があります。

 

これが今私が出来る最大限のお礼、38年分の感謝の気持です!

 

 昨日のお昼の時間にLINEで、明日、今私が出来る最大限のお礼をいたしますとメッセージを添えて、ゴルフ場にいる先輩に送りました。

 

物書きの端くれとして、18の時から先輩に尊敬の念を抱き続け、常に背中を追い続けてきたことを此の場に綴ることが、私に出来る最大限のお礼だと考えたのです。

38年分の感謝の気持ちです。

面と向かったら、こっぱずかしくて、ここまで語れませんから。

 

最後に、先輩は一流企業にて継続して65歳まで勤められるそうですが、そこを退職した暁にはアイディアマンの先輩のことですから、きっとなにか起業されることでしょう。

その時は私もぜひ誘ってください。人生の最後にもう一度一緒に働きたいです。

 

この先いつまで生きるかわかりませんが、どうか引き続きお付き会いのほど、

よろしくお願いいたします。

 

最後はやっぱり本の宣伝、これを書かなきゃ初めて当ブログを訪れた人は、何が本編かわからなくなってしまうからね。

 

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※好評いただいていることに気を良くして、kindle本第2弾の執筆を開始しました。