12/23を忘れない
今日、12/23は何の日かご存知ですか。
今日は昨年、天皇陛下を退位された明仁上皇の生誕87年の記念日になります。
皇太子の時代から、穏やかな笑顔で国民の労をねぎらってくださった数々のシーンは、未だに記憶に新しいところではありますが、退位されたら12/23は祝日ではなくなってしまったので、忘れている人は多いと思います。
でも私は生きている限り、上皇様の誕生日を忘れることはないと絶対の自信があります。
それには理由が、、
4年前に他界したうちのオヤジが、ガースー(菅総理大臣)の故郷、秋田県は湯沢市の隣町で同じ日に産声を上げたからです。
そのため、同じ日に生まれた全国の赤子に向けて、朝日新聞社から記念メダルが配られたのです。私の実家の神棚の祠の中には、今も大事そうにしまってありました。
87年前の生誕時に皇太子様と同日に生まれた全国の赤ちゃんと題し、父の名前は朝日新聞にも載ったと聞いていましたが、さすがにその新聞は保管されておらず。
袋をそぉーっと開いたら出てきました、記念メダル。
お次は裏面。
元々は銅色だったのだろうか?
今度磨いてみようかな。
何色だったにせよ、値段の付けられないお宝には違いない。
オヤジの兄弟は9人、その中にとんでもない経歴の人がいた
うちのオヤジは生前、正真正銘のカーペンター(大工)yuzoでした。中学卒業と同時に師匠の家に住み込みの丁稚奉公となり(でっちぼうこうって今や死語?) 大工の技術を学んだのちに上京を果たします。
当時の家庭は今みたいに核家族なんてことはなく、どこの家も子沢山だったようですね。オヤジの実家も例外にもれず、9人兄弟の大家族。
ところが、オヤジの父親はオヤジが3歳の時に亡くなっているのです、、母親一人でよく9人も育てたものです、、ばーちゃんエライ!!
兄弟が9人もいますと進路はバラバラ、隣の家に嫁いだ人もいれば、農家を継いだ人、自衛官になった人など様々。5人が東北に残り、4人が上京を果たしました。
上京組のオヤジ以外の3人はお姉さん3人なのですが、この3人には私が子供の頃、大変お世話になりました。
姉さん達にとったらオヤジは同じ上京組の唯一の弟でしたから、何かにつけて気遣ってくれたのだと思います。
その3姉妹の年長である伯母さんは、東京都の国分寺市でお豆腐屋さんを営んでおりましたが、実はこの伯母さんの旦那さんが、他界してから暫くして、若い頃にビックリするような著名人と親交があったことを知ります。
教科書にも出てるくらいの人です、、単に親交があっただけでもスゴイことなのに、伯父さんはその著名人との別れのシーンにも重要な役割を果たしていました、、
今日は書ききれないので、後日ご紹介させていただきたいと思います。