
世直しBB侍は鉄馬を駆る、伝統と反骨精神が融合した令和の義士、辛口のBB(バイクバカ)。
17歳で原付ライダーデビュー以来、途中30年ほど中抜けしましたが、30年の時を経て50代でリターンライダーとして帰ってきました。
私にとってバイクバカと呼ばれることは最高の褒め言葉、だからこれからもバイクへのこだわりを捨てずにバイクバカ目線でバイクにまつわる様々なことを綴ってまいります。(同じくらい大好物なクルマのことにも時には触れながら)。
今回は9ヵ月の時を経て、ようやく書く気持ちになったことを綴っていきたいと思います。
それはもう1冊本が書けるんじゃないかっていうくらいのボリュームになるので数回に分けておくります。
タイトルは『ハーレー全損①事故から9カ月を経ても消えない無念と相棒への慕情』です。
ハーレー全損事故から9ヵ月を経ても消えぬ無念と相棒への慕情
もう今回のブログタイトルを見た時点で理解されたことと思いますが、相棒のハーレーはもうそばにいません。
忘れもしない3月〇日、今から9ヵ月前のことです。
クルマ(プリウスミサイルは本当に実在したのです!)との衝突事故により、相棒はその尊い生涯を全損という形で終えたのでした。
出会いからを振り返ると認定中古車として2023年5月に購入後、私自身の慣らし運転も終わらぬ時期に、線状降雨帯が張り巡らされた台風警報のなか決行した大阪ツアーでは、結果東京都内から岐阜県までの450キロをずうーっと豪雨に打たれ続けながらも完走を果たして相棒との結束を一気に深めたことを皮切りに、暑い日も寒い日も友に走り濃密な時間を共有してきました。
とりわけ昨年の夏からは、ハーレーの良き理解者であるパートナーを後ろに乗せたタンデムランを毎週のように楽しんで。


そんな思い出深い相棒ではありましたが、気がつけば乗らない日々が多くなり、ランニングコストが気になるようになってきたのでした。
そうしてついに4月にラストランを行い静かにハーレーから(いやバイクから)降りる苦渋の決断をした矢先に事故は起きてしまいました。
出来る事ならキレイな形で相棒とはお別れをしたかったし、自身のバイクライフにもキレイに幕引きをしたかった。
今まで17歳でバイクに乗り始めてからこれまで事故らしい事故は無かったのに、最後の最後にきて悲劇は襲ってきたのでした。
それを考えると無念でならないし、私の身代わりに相棒は逝ったのかと思うとハーレーへの慕情は当分消えることはなさそうです。
ラストラン前に企画した息子とのミニツーリングの意味
事故は小春日和のミニツーリングの帰り道で起きました。
そしてそれは私単身ではなく、息子も巻き込むものとなりました。
18歳になった息子は、高校生活の後半から興味が自身の足で漕ぐロードバイクからエンジンで走るオートバイへ変わっていったようで、以前からオートバイに乗ってみたいようなことを言っていたのです。
だからラストラン前が乗せられる最後の機会だと思い、また、息子との思い出作りも兼ねてタンデムミニツーリングを企画して誘ったのでした。
息子は二つ返事で賛同してくれ、目的地は彼の希望から茨城県の筑波山つつじヶ丘駐車場になりました。


その場所には私だけでなく彼の心にも、2つの出来事が懐かしい思い出として残っていたようです。
1つ目の思い出は、まだ5歳だった息子と一緒に、つつじヶ丘駐車場からロープウエイを使わずに登山道を歩いて山頂まで登ったこと。

下の子が生まれてから長男との間に溝を作ってしまったように感じていた私は、この時は妻は誘わずに息子と2人だけで登山したのでした。
今思い出しても5歳の子供がよく歩ききった、登りきったものだと感心させられた記憶が残っています。
2つ目の思い出は、下の子がまだ2歳だった頃、初日の出を見るために夜明け前の登山道をおぶって家族で登ったことです。
離婚をしてしまった直後は息子たちと離れてしまったことで大きな喪失感があり、思い出のある筑波山には幾度となく訪れていただけに、息子からこの場所を目的地とすることを提案された時は格別の思いがありました。
そんな思い出のつまる筑波山からの帰り道で事故が起きたことも無念と思う要因の一つでしたが、
何よりこのミニツーリングで終始安全に留意しながら走る父の背中を見せることで、「バイクはむき出しで危険な乗り物だけど、安全に留意して走ればこんなにも楽しい乗り物なんだよ。」ということを身をもって示す意味もあったのです。
だから、なおさら今も無念でならないのです。(つづく)

ハーレーが好き過ぎて、ボタニーペイント手法を使ってアートに挑戦したこともあった(ハーレーのトレードマークであるバー&シールドは蓮の葉で製作)