50代の生き方

離婚して始まった50代からの第二の人生を謳歌するためのマインドを綴ります

引き続き無双は続く

 

なんだか引き続きお仕事が絶好調のYUZOです。

 

今までなら、もう元に戻ってる頃なのですが、今回はその気配さえまだないです。

 

やっぱり今回の覚悟は並ではないからか。

 

定年まで1年を切った今、ここで頑張らなくちゃこの先いつ頑張るの?っていう状況下だから。

 

この歳を迎えるまでは、ジタバタしたって先は見えてると諦め、野球に例えたら消化ゲームだったり、敗戦処理投手になってもいいやという半ば自暴自棄になってる弱い自分がいました。

 

今更頑張りようがない、かといって自分から人生降りるわけにもいかないから、ただ

消化ゲームをする、、

 

だけどね、実際この歳になってみて、将来の年金見込額とか、定年迎えても退職金がないこととか、約束した養育費の払いこそ終わってるけど息子2人はまだ未成年ということを考えるとまだまだ出来る範囲で助けてあげたいと思ったり、、そういうこと考えたら、敗戦処理で投げてる場合じゃないし、消化ゲームをしている場合じゃないと思い直しました。

 

あの日の9回裏ノーアウト満塁の大ピンチを切り抜けて日本一に貢献した伝説の左腕、江夏豊さんと今の自分をかぶらせたくて仕方がありません。

 

あの日とは、、江夏の21球をご存知ですか。

 

 

 

1979年の近鉄バファローズ対広島東洋カープの日本シリーズ第7戦で、広島・江夏豊さんが9回裏に投じた投球数及び投球内容のことです。

 

そこまで3勝ずつ勝って迎えた決戦の7戦目の9回裏を、抑えれば広島が日本一という場面で、一時江夏さんはノーアウト満塁の大大ピンチを迎えたのです。

 

が結果、見事に0点に抑えて江夏さんは胴上げ投手になったという球史に残る話なんですけど、自分が今置かれてる状況はそれに負けないくらいヤバいと改めて思ったのです。

 

それを思っていた矢先に、日の丸を背負ったWBCの侍ジャパン見て、渾身の勇気を注入され、覚悟ができたのです。

 

毎日を悔いのないように送ること。

 

そのために全力で仕事をすること。

 

そしてそれは夜も休日も。

 

そう決めてから毎日、力がみなぎっています。

 

想いが前のめりになってしまって睡眠時間が十分取れてないことだけが玉にきずですが、向かうところ敵なし、まさに無双状態になってます。

 

自分には見えないけど多分オーラが出てます、そのせいか、予想外の協力者が現れたり、予想以上の成果が出たり、主力業務になる受電対応はハンパなく本数を受けて、夕方には声がかすれてくるんですけど、電話を数取っても不幸の電話は受けません。(クレーマー系の)

 

もう来期のことも覚悟は出来てます。

 

年棒は今の4割カットの嘱託勤務です。

 

確かに安いけど、今の仕事は好きだし、ますます自分には向いていると思えてならない、もはや天職レベルです。

 

だから、MAXまで勤めたいと思う、今の会社で。

 

収入減は他でカバーします、お昼の仕事は充実して楽しくできればそれでいいと思っています。

 

将来的には副業の収入の方が上回ってしまうけど、私にはあくまでも昼の仕事が本業です。

 

そう今は胸を張って言えます。

 

私の人生まだまだこれから、むしろこれからの方が大きな花を咲かせます。