アラ還からの副業ビジネス挑戦

本業の定年退職まで4年を切った今、立ち止まっている時間はない、前進あるのみだ。

捨てられずにずっと持っていた物。懐かしさがこみ上げる

今はもう興味がなくなったけど、当時熱中していたから捨てられずに持っていた物ってないですか?

なにかブログのネタがないかと考えていたところ、昔興味があったものにフォーカスしようと思いたち、衣装ケースにしまってあったアルバム等を見返していたんです。

そうしたら思わぬお宝が出てきました。

今日はそんなお話です。 

 

 

 

中学~高校の時はレース観戦に首ったけでした

 

もう40年以上前の話になりますが、私は当時F1オタクでした。

F1とはフォーミュラー・ワンの略です、念の為。

 

2014年に映画「マイティー・ソー」のクリス・ヘムズワースが主演で「ラッシュ プライドと友情」というレーサー同士の友情を描いた映画が公開されていますが、私がF1オタクだった時はまさにあの時代です。

 

eiga.com

 初めてのレース観戦は富士スピードウェイで、グラチャンを見に行ったのが最初でした。その時、目の前を爆音を轟かせて疾走していくレーシングカーとレーサーに心奪われてしまいました。

 

でその年の10月には前年につづく日本で2回めの開催になるF1日本グランプリも見に行きました。

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子供料金とは言えチケットが1500円だったとは。歴史を感じます。

 

当日の私は横断幕を持ってもっぱら、当時、日本一速い男と言われた星野一義さん(コジマという日本製マシンで出場)を応援してましたが、

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日本一速い男と呼ばれた星野一義さん

 

レース途中に突然コース内をマーシャルカーが走り出したので異変に気が付きます。

その時、第1コーナーで痛ましい事故が起きていたんですね。

 


1977年富士スピードウェイでのF1日本グランプリのクラッシュ

 

6輪のティレルを駆るロニー・ピーターソンと若干23歳の若武者ジル・ヴィルヌーヴが第1コーナーで接触し、宙を舞ったヴィルヌーヴのフェラーリによって、立ち入り禁止区域にいたカメラマンとそれを排除しようとしていた警備員、あわせて2名が死亡する事故が起きたのです。(余談ですが、帰りの東海道線の電車内に外れて飛んだフェラーリのタイヤを持っている人が乗っていたらしい。。)

 

レースは前年チャンピオンに輝いたジェームズ・ハント(映画:ラッシュ プライドと友情の中でヘムズワースが演じた人)が優勝で幕を閉じましたが、この事故が1987年まで日本でF1が開催されなくなったきっかけとなったのです。

 

ますますF1の魅力に取り憑かれ、ビル大友氏と電話でお話できる仲になる!?

 

その後私はますますF1の魅力に取り憑かれていきます。

 

その頃です、1960年代からカメラマン、モータージャーナリストとして活躍していたビル大友氏が、ファンの力で(ファンのカンパで)再び日本へF1を招致しようと、F1クラブなる団体を立ち上げたのです。

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右側がビル大友氏(※ペンネーム:オートモビルからとったもの)

私はその考えに賛同し、F1クラブの設立会員として名を連ねます。(若干高校生の身分で)そんなことからF1クラブの事務局にはよく電話をかけたものです。

 

なぜなら、海外でのF1レースがあった数日後にはビル大友氏が直接電話に出られることが多かったから。そこでよくレース雑誌発売前のレース結果速報を聞いたものです。

 

ビル大友氏から頂いた思い出の品々

 

そんなことから、少なからず私のことはF1オタクの高校生としてビル大友氏に認知されていたように思います。

 

お手紙をもらったし、生写真を頂いたこともあります。

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直筆レターには感激しました

 

 

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この生写真は、1979年のF1フェラーリチームの2人。上がこの年チャンピオンになったJ.シェクター。下がG.ヴィルヌーヴ

 

 

さらにさらに、これはもっとレアかも。ロニー・ピーターソンと奥様のツーショット写真です。上はピータソンが当時駆った6輪ティレルです。

 

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でもこの奥様、このあと未亡人になってしまうんですよね、1978年イタリアGPでピーターソンは事故死してしまったので。

 

F1オタクだったのは1980年までだったと思います。その頃バイクの免許が取れる年齢になり、毎日バイクのことばかり考えていましたから。

 

ファイリングの中にこんなものも見つけてしまいました。

 

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日本人として初めてF1にフルシーズン参戦した男。

当時チームメイトだった、あのアイルトン・セナに、雨のレースは最速と言わしめた

中島悟さんのサインが入ってます。

 

レースの案内告知のチラシにサインが入ったものですが、これはまだ中島さんがF1参戦前の国内で大活躍していた頃のものと思われます。

しかしながら、どうやってサインをもらったのか全く覚えておりません。

 

最後にビル大友氏の去年のブログを見つけたのでご紹介しておきます。

 

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御年82歳になられたようですが、お写真がとても若々しいのでビックリしました。

東京都台東区で喫茶店を営んでおられるようですね。

 

F1、これは紛れもなく私の青春の1ページです。