前回は衝動買いした初めてのナナハンのアラがいろいろ見えてしまい、購入から1年も乗らずして手放したことを話しました。
ですが、いい時間も分かち合ったことはあったので今日はその辺を振り返ります。
その最たるものがその年に敢行した北海道ソロツーリングです。
- パソコンもスマホもなかったけれど、緩くて自由で熱かった昭和
- 再び夏の北海道を今度はソロで走るも、予定の前半はガマンを強いられる
- 札幌は大都会ですね、ある意味がっかりしたというか
- 函館の女子大生達との出会いがありました
- 青春のメッセージ
- 彼のオートバイ、彼女の街
パソコンもスマホもなかったけれど、緩くて自由で熱かった昭和
昨年の5月から令和という新しい時代が幕開けし、昭和を引き継いで31年続いた平成はその幕を閉じました。
前回の東京オリンピックイヤーに生誕したカーペンターyuzoは【懐かしの昭和】が大好きでした。
まだパソコンもスマホもなかったけれど、すべてが緩くて自由で熱かった時代ー昭和。
【昭和61年】遊び編
再び夏の北海道を今度はソロで走るも、予定の前半はガマンを強いられる
前年 夏休みを利用してバイク仲間と北海道の大地に渡り、道東を堪能した私は、
今度は北海道の道西を走破したいと思いました。しかも長旅では初めてになる1人で。。
北海道までは前年同様カーフェリーを利用しました。
東京湾の有明港から33時間かけて釧路港に入る船に乗船したのですが、この時は海が大シケで船体が上下に大きく揺れて船酔いに悩まされました。
おかげで下船して走り始めてからも暫く揺れてる感がとれませんでした。
さらに上陸初日から雨・霧の悪天候にあい、孤独な走りを強いられる始末。
でもそんな時に励まされたのが自転車野郎達。彼らはその悪天候の中、Tシャツでがむしゃらにペダルをこいでる、それを見たら合羽を着てエンジン付きに乗ってる自分は愚痴っている場合じゃないと思わずにはいられませんでした。
札幌は大都会ですね、ある意味がっかりしたというか
上陸2日目はいい天気に恵まれ、途中、日本一の直線路と言われた(35キロ)滝川~岩見沢間のR12を抜けてやがて札幌市内に入ります。
放射状に延びる道、隣接したビル群、大渋滞の様は首都東京もまっさおの大都会で面食らいました。
早々に宿を決めてひと風呂浴びてから夜のススキノを目指して歩きます。
延々3時間は歩いたでしょうか、夜のネオン街が当時22歳の私には刺激が強すぎて、名物のラーメンを食って宿に戻りました。
函館の女子大生達との出会いがありました
一夜明け、昨晩は歩くばかりでゆっくり札幌観光ができなかったので時間をかけて巡ってみたい気持ちがありましたが、この日も300キロ以上走らないと予定が狂うため、やむなく札幌の街をあとにします。
宿は毎日、その日の午後に電話して決めていましたが、この日も夕方近くに瀬棚という漁港の民宿に予約しました。
宿が決まると毎日一安心します。
海岸沿いを流していると幻想的な夕日と遭遇。
でも宿に着くともっと嬉しい素敵な出会いがありました。
風呂上がりに夕食の席に座ると、3人のGALが私の前にいるのです。
飯や味噌汁を当たり前にように器によそってくれた彼女らの気持ちが、1人に疲れていた私の心をなごませてくれました。
さらに、部屋に一旦戻るとお酒のお誘いもあり。。当然彼女たちの部屋にお邪魔し、
先着の京都の先生を含め、計5人で楽しいお酒をいただきました。
彼女らは3人とも函館の短大生とのこと、シャイな瞳が新鮮に感じました。
突然1人の娘がバイクの排気量を尋ねてきて、ナナハンと答えると
「明日乗せてくださいね、約束ですよ。」
0時に彼女らの部屋を後にし、明朝を楽しみに床につきました。
青春のメッセージ
翌朝、旅立つ前に彼女らと写真を撮りました。
後ろに乗せて走る話は、ヘルメットが一つしかなかったので言い出せず。。
撮影後、彼女らは浜へ移動していき別れとなりました。
ですが、このままでいいのか?
と考えた私は、商店で買った花火を持って連絡先を聞こうと浜へ出ます。
でも既に浜は人で賑わっていて彼女らを見つけるは出来ませんでした。
仕方なく、宿の人にメッセージ付きで花火を渡し、出発しました。(連泊すると聞いていたので。)
昨日と同じ海岸沿いを函館に向けてひた走りますが、途中1時間くらい、前からも後ろからも1台もクルマを見ない区間がありました、さすが北海道。
この日の宿は函館温泉。
夕食後にロープウエイで函館山に登りますが、夜景は霧で見えませんでした。
彼のオートバイ、彼女の街
翌朝、上陸後はじめてTシャツ1枚で走りました。リベンジと思い、今度はバイクで函館山へ。しかし、途中対向車に何度となくパッシング&ホーンを鳴らされて、ようやくバイクでの登山走行禁止に気が付きました。ゴメンナサイ。
この街のどこかに彼女が住んでいると感慨にふけり、また必ずここに来ると誓って函館をあとにしました。(見出しは当時映画にもなった片岡義男の小説、『彼のオートバイ 彼女の島』をもじっています。)
この日は登別までの海岸沿いを走るルート。途中、大沼公園の近くで気分良く流す私の横を汽車が過ぎて行くシーンがあって感激しました。
《データ》期日:1986/8/5~1986/8/13
走行距離:1475キロ
平均燃費:23.8㎞/L
※ツーリングから戻った数日後、函館の短大生の中の1人からお便りがあって、その娘とはしばらく文通してました。
メールもスマホもなかった昭和の時代のいい思い出です。