パソコンもスマホもなかったけれど、緩くて自由で熱かった昭和
昨年の5月から令和という新しい時代が幕開けし、昭和を引き継いで31年続いた平成はその幕を閉じました。
この記事は昨年アップしたものですが、いま一度リライト版をお届けします。
まだパソコンもスマホもなかったけれど、すべてが緩くて
自由で熱かった時代ー昭和。
【昭和58年】遊び編
バイク仲間と浦安の防波堤へ。そこで誘いにのって改造車と競争することに
その日はバイク仲間と午後から東京ディズニーランドのお膝元、千葉県浦安市に出かけていた。ウチからバイクで1時間かからないで行ける距離のため、海が見たくなるとふらっとよく出掛た場所だった。
前年念願のバイクの中型免許を取得した私は、最初中古で250CCのバイクを買ったが、物足りなくなって1年乗らずで乗り換えていた。
次に買ったのは、ヤマハXJ400D。
この頃の400CCクラスのバイクは、前年封切られた近藤真彦主演の"ハイティーンブギ"という映画の影響が少なからずあり、ホンダのCBX400Fというバイクが売れまくっていた頃で、私のXJは完全に影に隠れた存在だった。
購入後、バックステップ(足を乗せる部分、それを標準より上方、かつ、後方へ移した。標準だとカーブで車体を倒し込んだ時にステップが道路面に当たることがあったため。)と、ハンドルを左右分割式のセパレートハンドルに変更して乗っていた。
バイク仲間は皆ノーマルで乗っていたので、私のバイクが目立ったのか、
一人のドライバーから声がかかった。
「今日はさ、パーツ交換した部分のテストを兼ねてきたんだけどさ、ねぇ、向こうの先まで競争しない?」
その男のクルマは仕事柄ほとんど毎日見ているクルマ、トヨタセリカXX「ダブルエックス」だった。
エンブレムから2000CCのターボ付きと判断。外観だけでなく、きっとエンジンもチューニングしているんだろうなという雰囲気を醸し出していた。
改造車と競争、その意外な結末
少し考えてると仲間が背中を押してきた、で競争することに___。
競争期間は400m位だったか。
「最高速ならクルマに分があるが、加速勝負のこの距離なら勝てるでしょ?』
仲間の合図と同時にスタートを切る。
2速⇒3速⇒4速⇒5速。出だしはこちらが早かったが、途中から「キーン」という大きなターボ音を轟かせて後方から迫り、あっという間に追いていかれた。
完敗だった。
「もう一回勝負しようよ。」「やりましょう。」
今度は本気出す、リベンジだ。
スタート前にエンジン回転を7000回転くらいまで上げておいて、前輪が持ち上がらないようにクラッチをつなぐ。
上体は燃料タンクの上に胸を這わせ、エンジン回転をレッドゾーン手前まで引っ張って シフトアップを続けた。
「今度はいけるか?」
が、またしても明らかにノーマルではないターボ音が聞こえてきて、抜かれてしまう。
その直後だった。
「プシュー_______________。」
男のクルマのボンネット脇から白い煙が吹き上がり失速、私が抜き返したところで力なく止まってしまった。
引き返してクルマに駆け寄った。
ボンネットを開けると多量の水が吹いた跡が確認できた。ドライバー曰く、ターボチャージャーをノーマルから社外品に換装し、テストのためココに来たが、必要以上に過給圧を上げたことによりヘッドガスケットが抜けたと思うと解説していた。
(エンジン内部に想定以上の圧がかかったことで気密が保持できなくなり一部の部品が破裂したような状態。)
勝負に負けたけど勝った!?
「悪いんだけど、ショップに連絡してクルマを取りに来てもらう手配をしたいので、公衆電話がある所まで後ろに乗せてって欲しい。」
いきががり上、置いていくわけにもいかずOKした。
しかしそこで問題が。男の頭が大きすぎてヘルメットが入らなかったのだ。仕方なくおでこ位まで被ってもらいバイクの後ろに乗せて公衆電話まで走らせた。
レッカーの手配を終えて防波堤まで戻り、ドライバーにはいたく感謝され、その場を仲間とあとにしたのだった。
《これが昭和だ!》
・今じゃ撤去されてしまい、見つけるのは至難の技になったけど、スマホはおろかポケベルもなかった頃、出先での通信手段は公衆電話だった。これが昭和。