- あの晩の出来事によりカミさんの逆鱗に触れ実家に強制送還されました
- 強制送還を執行されたものの実はWin-Winでした
- 2/23は新天皇陛下の誕生日。亡きオヤジを思い出さずにはいられなかった
- 男が惚れる漢、初代カーペンターyuzoのことを紹介したい
- なんの見返りも求めずにその人を救ったオヤジ。1ミリのメリットもないのに。。
あの晩の出来事によりカミさんの逆鱗に触れ実家に強制送還されました
連日の睡眠不足がたたり、先日トイレでのたうちまわったyuzoです。あの晩大騒ぎして翌日パート勤務のあるカミさんを病院までお付き合いさせたことで逆鱗に触れてしまい、その日の夕方に私は実家に強制送還されてしまいました。なんてこった!
※詳しい事件簿は下記をご覧ください ↓↓↓
で実家に到着するなり、『家にいると寝ないで真夜中にブログ書き始めるので、お母さん預かってください!!』とカミさんから実母に言われる始末。とほほ。。
強制送還を執行されたものの実はWin-Winでした
でもね、強制送還を執行されましたけど、悪いことばかりじゃなく、いやむしろお互いにメリットがあり。。
まずは母から。またしても私の名前を騙り、オレオレ野郎が電話してきたというのです。もう都合7-8回くらい?完全に詐欺グループのリストに入ってると思います。
そこで数日の間でも息子がそばにいれば母も安心だと考えました。
母はもう80だけど、まだしっかりしているのでこれまでは騙されずに済んできました。
でもこれから先はいろんな機能が衰えてゆくだろうからね、そこで今後
私が母に電話する時は、俺は勿論のこと、名前も言わず、『ボクちんです!』と名乗るルールに決めました。
これならオレオレ野郎も真似できんだろう。
次はうちの家族ですが、私がいなくなって清々してるんじゃないかな。様子伺いのLINEをしたけど何時間も返事がないです。
子どもたちは休みというと朝から晩までスマホやタブレットをいじりたおすのです。だから眼のことを考えるとついつい叱ってしまうのですが、今回は叱る私がいないので伸び伸びやってるんじゃないかな。
最も喜んでるのはカミさん?夜中にブログ作業してると無音じゃ移動できないですからね、トイレ行ったり、手を洗ったりする時の音で目が覚めたとよく文句言われます。
最後に私のメリットは、実家なので やっぱり落ち着く=よく眠れることです。ようやく脳が戦闘状態を解き、遠慮無く眠っていいと指令を出したようです。
お通じも途端に良くなり、体調が戻ってきました。
あと久しぶりに実家に住んでいる妹夫婦とまともな会話がたくさん出来たし。
私はそううつの気があるので、気分がのらない時はあまり人と話したくないタイプで、これまで実家にたまに顔を出しても、会話をすることなく帰ることも多かったのです。
ですが、今は気力が充実しているので会話が楽しかったです。
こんなに話したのは4年前にオヤジが他界した時以来かな。
2/23は新天皇陛下の誕生日。亡きオヤジを思い出さずにはいられなかった
2/23は新天皇陛下の誕生日でした。私は亡きオヤジを思い出さずにはいられませんでした。なぜならオヤジは昨年天皇を退位された上皇様と全く同じ日に生誕したからです。
しかも亡くなった日は昭和天皇の誕生日だったというのですから、天皇家とのご縁を感じずにはいられません。
私もあと数日早く生まれていたら、年度こそ違いますが親子2代続けて天皇陛下と誕生日が一緒になるところでした。
下記のブログは、1933年12月23日に生誕したことを記念して朝日新聞社から贈られた記念メダルのことを記事にしたものです。
男が惚れる漢、初代カーペンターyuzoのことを紹介したい
私カーペンターyuzoは2代目で、初代は正真正銘のカーペンター(大工)でした。
秋田県の田舎町で中学卒業と同時に大工の師匠のところに丁稚奉公( でっちぼうこう:師匠のお宅に住み込み食事付きで技術を教わる代わりに、お給料はなかった昔のシステム)に入り、数年経たあと上京した初代カーペンターyuzoは、数々の伝説を残した漢でした。
背は小さかったがヤクザと喧嘩して一歩も引かなかった話とか、人が大好きな漢でホームレスの方々とも別け隔てなく付き合えた話とか、伝説は枚挙に暇がないが、一番漢を感じさせたエピソードが次の話です。
なんの見返りも求めずにその人を救ったオヤジ。1ミリのメリットもないのに。。
ある日親戚のオジさんが神妙な顔をして全く知らない一人のオジさんを連れてウチに来た日のことです。
親戚のオジさんはオヤジより一回り以上年下で、オヤジとは従兄弟の間柄だったんだけど、実の兄弟以上に親しい間柄になっていました。俗に言う、馬が合うというやつです。そんな間柄のオヤジのもとに生まれた私は、親戚のオジさんにとってさぞかし可愛かったのでしょう、言葉では言い表せないくらい小さいときからお世話になりました。
そんなオジさんはオヤジに深々と頭を下げ、連れてきた知らないオジさんの持っていた約束手形を割ってほしいと頼みに来たのでした。
約束手形を割るという行為は、よほどのことがない限りしないことです。
もし約束手形を割るケースがあるとすれば、こちら側にメリットが発生する場合ですが、今回のケースでは約束手形を持っていたオジさんとオヤジには一切面識がありませんので、オヤジには受ける理由なんてなかったのです。
だから普通ではありえないんですが、
『〇〇( 親戚のオジさんの名前)、困ってるのか?』
親戚のオジさんがまた深く頭を下げると、
『わかった。』と一言だけ言い、約束手形を割ってやることを即決。
しかも、親戚のオジさんとの信頼関係から書面も交わさず、手数料をとることもせずに引き受けたのでした。
親戚のオジさんと知らないオジさんの関係性はたしか、親戚のオジさんの友達だったように記憶してますが、子供ながらにオヤジは大変な決断をしたことは理解できました。
当時オヤジは一流の大工職人だったから景気も良かったようですが、それにしても男気あふれるエピソードです。
また、仕事が最盛期の頃は、年末に仕事関係筋の方々を貸し切りにした料亭に招待して、忘年会を自費で開いていました。
平均よりちょっとだけ景気がよかった いち大工職人がですよ、なのにやることが大物芸能人みたいでしょ?
自分の今があるのは支えてくれた仕事関係筋のおかげだから年に一度の還元祭をしたかった?
まだ生きていたら、聞いてみたかったですね。
ちなみにその忘年会の司会進行は、さきほど紹介した親戚のオジさんが二つ返事で引き受けていましたね。
オヤジは親切丁寧な仕事ぶりが評判でリピーターも多かったと記憶に残っています。


私はカーペンター(大工)ではありませんが、オヤジのような漢になりたくて2代目カーペンターyuzoを名乗っております。
日々進化していく私の姿を、これからもあの世から見守り続けてほしいものです。