ゴルフ リスタート ~50代からのゴルフ

大好きなゴルフネタを中心に、決して普通じゃない50代の過去~現在~未来を赤裸々になんでも書きます。

令和元年もあと僅か【懐かしの昭和を振り返る】初回

 

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パソコンもスマホもなかったけれど、緩くて自由で熱かった昭和

 

今年の5月から令和という新しい時代が幕開けし、昭和を引き継いで31年続いた平成はその幕を閉じた。そこで、カーペンターyuzoの令和元年 年の瀬企画?【懐かしの昭和】を振り返ってみたいと思う。

まだパソコンもスマホもなかったけれど、すべてが緩くて自由で熱かった時代だった。

 

 

【昭和56~57年】

 

大学に進む意味を見い出せず就職を選ぶ

 

高校時代、成績優秀ではなかった私は高卒で就職を選んだ。

 

友の多くは明確な目標もなく、4年間大学に遊びに行くように見えて、その反発心もあったように思う。 

 

各企業の求人活動が解禁になると、進学校でもなかったのに校舎の中央廊下の壁には、一面に求人票が貼られた。

 

今の学生が見たらビックリする程の数。そのくらいの求人があったので、そりやぁもう各種企業を選びたい放題。

 

私はクルマが好きだったから自動車販売会社での整備士としての道を選び、地元の千葉県と、となりの東京都から5社くらいピックアップして、総合的に条件が良かった東京の会社を選び採用試験を受験。

 

採用試験と言ってもいたって簡単なものだった。

いまみたいに3次面接なんてない、無い。

 

作文と事務的な面接だけで合格した。

 

 

社会人スタート。私の配属された整備工場は整備士だけで14人もいて、一緒に入社した同期の2人と合わせると17人の大所帯となった。

 

その大所帯を束ねる現場のリーダーが"ハンチョウ"と呼ばれる人で、整備の技術、統率力の優れた人がなれる役職だったが、私らのハンチョウは社内でも有名人で、まあスゴイ人だった。

 

身長172センチ、体重60キロ。自称、"リー・ ガンホウ"。

れっきとした日本人だが、顔つきは韓国系で眼光鋭く、身長は普通、ガタイがいいわけでなくむしろ痩せ型、だが拳を握った時の手の形にはタダならぬ雰囲気を感じ、このあと披露する武勇伝を聞いたら、その予想は見事に的中していた。

 

当時の整備士志望者はクルマ好きのヤンチャな人が多く、ハンチョウもその例外ではなかった。

 

ハンチョウ、敵対する他校の生徒に拉致される

 

ハンチョウが整備士を目指して通っていた学校は、いつも近くの朝鮮学校と敵対していて日頃から揉めていた。(昭和46-47年の話です。)

その中でもヤンチャなハンチョウは特に目立ってて、その学校の生徒から目をつけられていたらしい。

 

そんなある日、朝鮮学校の生徒が大勢で乗り込んで来た。狙いはリー(ハンチョウ)だった。

 

「リーが拐われた!」その噂はまたたく間に全校中に知れ渡った。

 

 それを聞きつけたのが一番のダチだった"中野さん"。


メリケンザックやチェーンなど、すぐ調達出来る武器を携えて単身現場に向かった。


『リーが危ない、助けに行く!』

 

ハンチョウ他校の生徒をブチのめす!その数、1対20。。

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しかし、中野さんが現場に着くと思わぬ光景が。


朝鮮学校の生徒が皆 血を流して倒れており、(その数約20人)少し息が上がっているハンチョウがそばに腰掛けてタバコを吸っていた。


中野さんも相当腕っぷしが強かったらしいが、今回は出る幕がなかった。

そんなハンチョウの元で整備士の基礎を学ばせてもらったが、普段厳しかったけど分、たまに褒められると何倍も嬉しくて、数年後にハンチョウが会社をお辞めになられた時は泣いたっけ。(つづく)

 

〈今日のポイント〉

就職氷河期なんて言葉とは無縁の求人数があった、これが昭和。

・"真昼の決闘"なんて令和でやったらSNSで拡散されて現行犯逮捕されちやう。でも当時はニュースにもならない、これが昭和。