50代の生き方

離婚して始まった50代からの第二の人生を謳歌するためのマインドを綴ります

ラグビーワールドカップ日本大会は南アフリカの優勝で終幕

 

鉄壁のデイフェンス、南アフリカは強かった

 

10/20にラグビー日本代表がベスト8で敗れてテンションは下がったものの、今日の決勝戦は見逃せない試合だった。世界1位のニュージーランドオールブラックスを撃破したイングランドと、日本を全く寄せ付けない強さで破った南アフリカとの決戦だ。

開始からトライがない時間が続く。得点する時はお互いが相手チームの反則から得たペナルティキックを確実に決めていくという展開。

試合が動いたのが前半30分、イングランドが怒涛の攻撃で南アフリカのエリア深く攻め込み、あと1歩でトライという場面が連続で続いた。しかし、南アフリカの鉄壁のデイフェンスはトライを許さずはじき返した。あの攻撃をしのぎ切ったことが南アフリカの勝因だったのではと思う。前半終了間際にキッカーのポラードのペナルティキックで加点して18-9で折り返すと、後半ついに力尽きたかのようなイングランドから2トライを奪い、32-12で南アフリカが優勝に輝いた。

 

南アフリカで初の黒人キャプテンがチームを率い優勝したことの意味

 

南アフリカでは1948年から1994年までアパルトヘイトという人種隔離政策が行われていたことは歴史の中で広く知られている。その南アフリカ黒歴史を、のちにノーベル平和賞を受賞することになるネルソン・マンデラ氏が終焉させるわけですが、アパルトヘイト廃止以降も白人と黒人の溝は完全に埋まっておらず、所得の格差は大きい状態が続いている。

そんな中、黒人初のキャプテン、コリシが率いたチームが優勝した意味は非常に大きいと思う。彼は大会中常に言っていた、

「僕らが試合する時は、グラウンドで戦う以上の意味を持っている。(愛称)『スプリングボクス』としての役割は大きい」

 

南アフリカでは「ラグビーが宗教」といわれるほど人気がある。しかし、ラグビーはかつて「裕福な白人スポーツ」とされた。アパルトヘイトもあり、黒人が代表に選ばれることは長らくなかった。国際社会から制裁を受け、W杯は第1回の87年大会から2大会続けて除外された。歴史が変わったのが、自国開催した95年大会での初優勝。同国初の黒人大統領となった故ネルソン・マンデラ氏が優勝トロフィー「ウェブ・エリス・カップ」をチームに渡した場面は、人種融和の象徴となった。(この時マンデラ氏は背番号6を付けて登壇していたが、今回優勝のコリシキャプテンも背番号6を背負っていた。)

 

スポーツの感動は時として政治の壁をはるかに超越した力を発揮することがある。

今回の南アフリカの優勝により国内の「緩和」が一層進むことになればいいと思う。

選手の皆さん、感動をありがとう!!!

 

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