親からの遺伝を恨んだ中学、高校時代
本題に入る前に私の身長にまつわる話を少々させてください。私は高校1年まで以上に身長が低く、中学入学時の身長は133センチしかありませんでした。
そのせいで何かにつけ自信が無く、イジメにもあいました。身長を伸ばす効果がありそうなものは色々試しましたが、その努力もむなしく高校入学時には147センチしかありませんでした。もちろん学年でダントツのチビです。イジメられることはなくなりましたが、今思うと周りからは哀れみの目で見られていたように記憶しています。
高校でも身長が伸びなかったらどうしようかとかなり焦りました。ところがその焦りは高1途中から身長がグングン伸び始めたことで消え、結果、高校の3年間で20センチ伸び、どうにかこうにか人並みの身長になりました。(⇒ 167センチ) 父は156センチ、母は145センチなので、ここまで伸びたのは上出来だと思います。でも伸び悩んでいた時期は親からの遺伝を恨みました。
その時の体重はどうかというと、47キロ位しかなく、とにかく線が細い18歳でした。
体格で劣る自分が飛ばしで勝つことの意義
ゴルフは25歳の時に始めるわけですが、18歳の時と体形は全く変わらず、以降10年間も体形というか体重は変わらずでした。理論上、体重は重いほうがボールを遠くへ飛ばせるといいます。167センチで47キロだった私は、その理論で考えれば飛ばし屋にはなりえませんが、体のバネや柔軟性には自信があったのです。
そのせいでしょうか、打ち方になんの拘りもなくドライバーを振っていた頃から体格で勝る仲間たちと遜色ない飛距離が出て、時にはアウトドライブすることもありました。
中学、高校時代にコンプレックスの塊だった自分が、体格で勝る男たちと互角以上に張り合えることは大きな意義を持つようになってきたのです。
当たれば飛ぶがムラが多く、そんな時運命のドライバーに巡り合う
当たれば飛ぶが、まだまだムラの多い不安定なドライバーショットを続けていた私は1994年、運命のドライバーに巡り合います。キャロウェイ社から発売後、ゴルファーの絶大な支持を受けた初代ビッグバーサを先輩から譲って戴いたのです。先輩も義父から戴いたそうですがシャフトが自分には柔らかいからと(Rシャフト)私に譲ってくれたのでした。このドライバーはグリップの中央付近が異常にすり減っていました。おそらく、先輩の義父がずっとそこを握っていたのでしょう。
私も試しにすり減った部分で握り、振ってみました。すると思わぬ発見がありました。

思わぬ発見により、スコアが90台の常連になる
グリップの中央を握るわけですから、クラブの全長は2インチ位短くなります。それで打ってみるといい音を発しながらナイスショットが続けて出ました。クラブが短くなった分、小手先で振るスイングから、腕とシャフトと上体が一体化したボデースイングに変貌を遂げ、ミート率の格段の向上と飛距離アップまで手に入れたのです。
このドライバーとの出会いにより私のスコアは90台の常連となったのでした。